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カンボジアって・・・
カンボジア王国
首都はプノンペン
人口の9割がクメール族で、チャム族やベトナム人、華僑などから人口は構成されています。
全長4,200kmのメコン川のうち、500kmがカンボジアを流れています。
アンコール遺跡群のあるシェムリアップ
シャム人を追い出すという意味です。
17世紀にアユタヤ王朝の軍隊を追い出したことからこの名前がついているとか。
カンボジアの通貨は「リエル」ですが、アメリカドルが広く使われます。
観光客のほとんどはアメリカドルしか必要がありません。
細かいおつりがリエルで返ってくることがありますが、
記念に持ち帰ってもいいかもです。
時差は2時間、日本の方が2時間早いです。
1970年代後半に悲しい歴史を持つカンボジアですが、
クメール王朝まですっ飛びます。
アンコール遺跡とクメール王朝とは・・・
1,000以上ともいわれるアンコールの遺跡はクメール王朝時代に作られました。
アンコール王朝と呼称することもあります。
クメール王朝とは
9世紀から1432年に東南アジアにあった王朝です。
クメール王朝?アンコール王朝?
ん?ん??ん???
となると思いますが
一緒です。
クメールというのはカンボジアをはじめとする東南アジアの民族で、
クメール文化やクメール芸術というとほぼほぼ、カンボジアや一部のベトナムの芸術・文化の事をさします。
この時代にアンコール遺跡のほとんどが建設されてことから、アンコール王朝ともいわれます。
アンコールとは、サンスクリット語の「ナガラ」のクメール訛です。
ナガラとは都市・城・町の意味です。
王朝没年は判明しているのですが、
開始年が9世紀となっているのは、どの王から王朝が開始されたのか考え方によって相違があるらしいです。
802年のジャヤヴァルマン2世に始まる説がよく取られているそうです。
王朝といえば世襲や親族での王位継承を思い浮かべるのではないでしょうか。
アンコール王朝は名前が知られている王は26人います。
その中で、実子もしくは親族が王位を継いだのはたった数例しかありません。
ほぼ王朝の前半に集中しています。
どのように王位を継いだのかというと、、、
継いだというより
簒奪
権威や正当性よりも武力による実力行使もあったとか
血気盛ん
アンコールにたくさん遺跡があるのはアンコール王朝では前王が残した寺院は自らは使用できないっぽいルールがあったようです。
そのため新王は前王を倒し即位すると、新しい寺院の建設を始めなければいけませんでした。
寺院を建設するためには長期間政権を維持し、財力と人力を投入し続けなければならず、
歴代の王の中には寺院を建設できなかったものもいると言われています。
1113年に即位しアンコール・ワットや現在のタイにあるピーマイ遺跡を建設し、
王朝の領土を拡大したスーリヤヴァルマン2世
(スーリヤは太陽 ヴァルマンは守護神の意味です)
の時代があり、
1118年に即位しアンコール・トム、バイヨン、象のテラスやライ王のテラスを建設した
ジャヤヴァルマン7世の死後、寺院建設で莫大な国費を費やし、宗教を巡る政争で国力が衰え、
その後いろいろありまして、
1431年にアユタヤ王朝が侵攻し、アンコールが放棄され廃墟となっていったようです。