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6日目です。
後半戦のスタートです。
ホテルを出発し、エフェソス遺跡へと向かいます。
距離にして約20km
30分弱で到着します。
ちかーい
調べてみるとこのエフェソス、刻んできた歴史がすごいです。
濃いです。
伝わるように頑張ってまとめます。
もとは、湾岸都市であったが、土砂の堆積により現在は海岸から離れています。
アルテミス(ギリシア神話に登場する狩猟・貞潔の女神であり、月の女神であるセレーネと同一視され、闇の神カテーとも同一視される)崇拝のギリシア人の都市として有名です。
それ以前は、ヒッタイトと同時代にあったアルザワ王国の首都であったと考えられています。
このエフェソスにアルテミス神殿があります。
アルテミス神殿は1869年に大英博物館の考古学探検隊によって発見されました。
それまでは世界七不思議のひとつと言われていました。
発見によってわかったことは、
最初の神殿は、紀元前700年頃のもので、遊牧騎馬民族の破壊をうけたのち、紀元前550年ころに再建されたが、
紀元前356年の放火により再び失われ、紀元前332年に3度建てられました。
紀元前262年、ゴート人の襲撃で略奪・破壊され、それから200年の間にエフェソスの人々の大多数がキリスト教に改宗し、
神殿は破壊され、その残骸の石は他の建物に使われたため、
遺跡は原型をとどめておらず、現在は修復された柱がいくつかあるのみとなっています。
紀元前2世紀に共和制ローマの支配に入り、共和制ローマ末期にマルクス・アントニウスがクレオパトラと共に滞在した地でもありました。
エフェソスにキリスト教が入ったのは比較的早い時期とみられています。
伝承では使徒ヨハネは流刑から解放されたのち、エフェソスの教会の祭司の傍らこの地で福音書を書いたといわれています。
イエスの母マリアもヨハネと共にエフェソスで余生を送ったといわれています。
多神教が禁止されたあと、アルテミス神殿やローマ時代に建てられた最大収容人数50,000人の劇場は建築資材を得る場所とされ石材が搬出されていきました。
この石材の一部はコンスタンティノポリス(イスタンブール)の建築資材としても使われました。
8世紀にアラブ人の攻撃をたびたび受け、エフェソスは放棄されました。
歴史も人も濃い
エフェソス観光後は、お昼休憩をはさみチャナッカレへ向かいます。
チャナッカレまでは約400km
イスタンブールまでの中間地点です。
チャナッカレでの宿泊は「ホテル コリン」です。
シャワーのみのお部屋となります。
どうやら電気ポットの用意はないみたいです。
お茶、飲みたい。
ホテルはエーゲ海はダーダネルス海峡沿いに建っています。
到着は暗くなってからだと思うので、翌朝景色を堪能してみてください。
翌7日目は世界遺産トロイ遺跡観光後、イスタンブールへ
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