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スタッフブログ

エジプト カルナック神殿で大脱線 アメン信仰と第18王朝

(2024年版)ナイル川クルーズ船に3泊!エジプト南北周遊8日間
↑↑2024年版ツアーは、下記の過去ブログとは異なる旅行条件・行程・内容です。予めご了承ください。

 

カルナック神殿
karnak01
脱線は続きます。

 

前回はヒエログリフの読み方でしたが、
今回は
アメン神とは!
第18王朝とは!
の二本立てです。

 

カルナック神殿からの
脱線1-1
アメン(アモン/アムン)神
karnak_pillar
アメン神とはテーベを含む上エジプト地方の大気の守護神です。
第11王朝(紀元前2134年頃-紀元前1991年頃)以降にテーベで崇拝されるようになり、
後に太陽神ラー(レー)と融合してアメン=ラーとして崇拝されました。

 

中王国時代(紀元前2040年頃-紀元前18世紀頃)第11王朝のメンチュヘテプ2世(紀元前2060年-紀元前2010年)が
テーベを首都としエジプトを再統一して以来、
末期王朝時代の第30王朝(紀元前380年-紀元前343年)まで
1700年にわたりアメン=ラーとしてエジプトの神々の主とされてきました。

 

脱線2
第18王朝
古代エジプトにおける新王国時代の幕開けとなる王朝
紀元前1570年から紀元前1293年に区分される王朝です。
18thdynasty

トトメス何世とかハトシェプストとかアメンホテプ何世やツタンカーメン、アイ、ホルエムヘブの時代です。
片目の胸像ネフェルティティもいますね。

 

王家の谷が形成されたのもこの王朝の時代です。
kv_01_v

 

第18王朝の王家はアメン神官団と接な関りを持ち、
エジプトの国家神であるアメン・ラーは勝利をもたらす神と崇められ、
遠征の度、アメン信仰の中枢であるカルナック神殿に戦利品が寄進され
これらがアメン神官団の経済力・権力の拡張につながっていきました。

 

アメン神官とファラオの対立が顕著化した時代です。

 

トトメス4世はアメン神官の影響を排除すべく行動をしていたようです。

 

メムノンの巨像で知られるアメンヘテプ3世治世下が第18王朝最盛期と言われ、
軍事記録の記録はほとんどありませんが建築活動は類をみない規模で行われています。
memnon

 

アメンヘテプ3世を上回る建築活動を行ったのは第19王朝のラムセス2世(紀元前1314年頃-紀元前1224年もしくは紀元前1302年頃-紀元前1212年)のみです。

 

ツタンカーメンのお父さんアメンヘテプ4世(後にアクエンアテン)は、
王権とアメン神官団の対立を決定的にすべく、
アメン信仰から太陽神アテン信仰へ変更し、自らの名前をアクエンアテンとし
アメン神との決別が宣言されました。
その治世4年には首都をテーベからアマルナへ遷都しています。

 

アクエンアテンの後、スメンクカーラー(在位 紀元前1336年-紀元前1334)が王位につきましたが、その死後王位に就いたのが
ツタンカーメン(トゥトアンクアメン 紀元前1342年頃-紀元前1324年頃)です。
ツタンカーメンは英語読みです。

 

即位時はトゥトアンクアテン。わずか9歳での即位でした。

 

そのため実権は宰相のアイと将軍のホルエムヘブが握ることとなり
その両名が主導でアテン信仰からアメン信仰へ回帰しています。

 

それによりトゥトアンクアテンからトゥトアンクアメンへ改名しています。

 

アイとホルエムヘブ、ツタンカーメン死後にどちらもファラオになる人物ですね。

 

ホルエムヘブが第18王朝最後のファラオです。
30年ほど統治し官僚制の整備や不正行為の取り締まり、
官位の世襲権の尊重等多くの治績を残しましたが、
嗣子がいなかったためその玉座を宰相のラムセス1世に譲っています。

 

このラムセス(ラムセス1世)以降を第19王朝と呼びます。

 

次回、ただいまカルナック神殿
ようやく本線(のはず)です。