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前回はカルナック神殿をお送りしました。
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そうです、古代にはカルナック神殿とルクソール神殿は参道でつながっていました。
ルクソール神殿は厳密には神殿ではない、
そうなのです。
あれま
まあ神殿で押し通しますけど
カルナック神殿のアメン大神殿の付属神殿として建立されたそうです。
なので、神殿であって神殿ではないような
神殿ではないけれど、もはや神殿というか。
です。
ルクソール神殿の中心部分は第18王朝(紀元前1570-紀元前1293年頃)のアメンホテプ3世(紀元前1386-紀元前1349年頃)によって手がけられています。
この神殿、ほぼアメンホテプ3世と第19王朝(紀元前1293-紀元前1185年頃)のラムセス2世(紀元前1279-紀元前1212年頃)に手がけられているそうです。
あくまでもほぼ。7割くらい。
このルクソール神殿の始まりは、
中王国時代(第11王朝と第12王朝(紀元前2060年頃-紀元前1802年頃))にできた小さな祠堂がはじまりと言われています。
この祠堂は残念ながら現存はしていません。
その祠堂の始まりの場所に、ハトシェプスト女王(紀元前1498年頃-紀元前1483年頃)が
アメン神、ムト神、コンス神のために3部屋に仕切られら礼拝堂を建立したそうです。
この礼拝堂はラスセス2世の増築時に中庭に取り込まれ、第一塔門の裏手にあります。
ハトシェプスト女王の時代から約100年後、
アメンホテプ3世が年に1度のナイル川の増水の時期だけの「アメン神の離宮」として
ハトシェプスト女王の祠堂の場所に神殿を建造することにしたと言われています。
ナイル川の増水期にアメン神が妻のムトと過ごすためにこの神殿にやってくる、
神を迎えるための盛大な祭り、「オペト祭」だけのために作られた神殿でした。
ルクソール神殿のラムセス2世の庭には(2羽にわとりがいる)
ツタンカーメンと妻のアンケセナーメの像があります。
(学生の頃に、figure of Elephant をゾウ?のゾウと訳して、
担当教員に「なめてんのか」と言われたのはいい思い出です。)
ラムセス2世の中庭にあるので、ラムセス2世とその妻の像とも言われたりするのですが、
お顔はツタンカーメンぽいですね。
他のラムセス2世のお顔とは違うような気もします。
ツタンカーメンは存命中、
この神殿の改修に力を注いだと言われています。
第1塔門前には1本のオベリスク
通常オベリスクは2本1対なのですが、、、
1833年にモハメド・アリがフランス王ルイ・フィリップから大時計を送られたお礼に
「オベリスク、1本あげるよ~」と
半ば冗談で言ったら軍隊を動員してまで持って行ったとか。
お礼として贈られたことには間違いないですね。
この贈られたオベリスクは、パリのコンコルド広場に立っています。
ボンジュ~ル
次回はルクソール西岸の観光です。