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古都テーベ@ルクソールの西岸
復活への通り道
いわゆるお墓とそれにまつわるものがある地
アメンホテプ3世の像だけど、
アメンホテプ3世が全く関係ないメムノンの巨像からの、
ハトシェプスト女王葬祭殿
葬祭殿とは
お墓ではありません。
葬祭に関する各種儀式を行う場所です。
王墓と葬祭殿で一組です。
葬祭殿がお墓の入り口にあたります。
ハトシェプストの葬祭殿と王墓の位置関係はコチラ↓↓
参道からまっすぐ行ったところに王墓があります。
KVとはkings Velly つまり、王家の谷の略です。
古代エジプトの王位継承がどうなっていたのか。
古代エジプトはファラオの嫡子の女性に王位継承権がありましたが、
女性はファラオになれませんでした。
ん??
その王位継承権を持っている女性と結婚した男性がファラオとなりました。
つまり、ハトシェプストはトトメス1世(最初に王家の谷に王墓を築いたファラオ)の嫡子であるため、
ハトシェプストと結婚した人がファラオとなることができました。
と言っても親子だったり兄妹だったり、異母姉弟だったり、おじいちゃんだったり
王家の血筋は重んじられたため、近親婚がほとんどだったそうです。
ファラオは側室を持っていましたが、近親婚の子供も多かったそうです。
ハトシェプストと結婚したのが、のちのトトメス2世(紀元前1518年頃-紀元前1504年頃)
といっても
ハトシェプストとトトメス2世は異母姉弟です。
トトメス2世が身罷ったあと、トトメス2世と側室の間に生まれたトトメス3世が即位します。
トトメス3世がまだ幼かったため、ハトシェプストは摂政として国を治めていました、
が!ある日!
共治王として即位し、ハトシェプストが絶対的な権力を有していきました。
もはや単独政権
ハトシェプストの死後、あらゆる名前は削られ、エジプトの公式記録からは消され、
約3000年の時を過ごしました。
葬祭殿に戻って、、、
葬祭殿の各礼拝所には約3000年前の色彩が残っていて、
とてもきれいです。
葬祭殿のすぐ後ろに聳え立つ崖も迫力も大迫力です。