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台北5

羽田発着ANA利用!台湾グルメ&定番観光 4日間←[2023年度版に更新しました]
観光のスタートは故宮博物院からです。

国立故宮博物院
kokyu
故宮博物院はその名の通り、北京の故宮(紫禁城)にあった宝物が収蔵展示されています。

1924年の清朝最後の皇帝宣統帝溥儀の紫禁城退去の後、
1925年紫禁城内で清朝が持っていた美術品などを一般公開したことが始まりです。

その後、日本軍の進軍から所蔵品を守るべく、
上海から南京、南京から四川省巴県、楽山、峨眉へ避難され、
さらにその後、第二次世界大戦終了後、三ケ所に避難していた美術品は南京へ戻されたが、
今度は国内の内戦が激化し中華民国の状況が不利になったところで
第一級の所蔵品を精選し台湾へ運びだしました。

故宮博物院の展示として有名なのが、
翠玉白菜と肉形石ですね。

これらは今年の春ごろまでそれぞれ台中だったり、他の国へ出張していて、
なかなか故宮博物院に腰を落ち着けていませんでしたが、
やっと帰ってきました。

今は何の情報もありませんので、このままいくと両方とも故宮博物院で鑑賞できることでしょう。

この翠玉白菜と肉形石、いったいどんなものなのでしょうか。

翠玉白菜
hakusai
もともとは光緒帝の妃 瑾妃の住居にありました。
瑾妃が後宮入りした1889年に初めに世に現れたことから、瑾妃の持参品と考えられています。

1889年に後宮入りということは、西太后と同じ時代を生きています。
光緒帝は西太后の妹の子供です。

この葉の部分にはバッタとキリギリスが彫刻されています。
よーく見ていただくと見えてきます。
これは多産の象徴だとかそうでないとか、所説言われています。

肉形石
nikugataishi
清朝第5代皇帝 雍正帝以降の皇帝の執務室兼寝室の「養心殿」に陳列されていました。
1925年に故宮に残された文物を点検する委員会のメンバーが
「豚肉の化石」
と目録に残すほど豚肉にそっくりです。

誰がどんな意図で作成したんでしょうね。

歴史ダイスキ大脱線

むかーしむかし、映画『ラストエンペラー』を見て当時はさっぱり意味が分かりませんでしたが、
ちょっと大きくなってからいろいろ調べて見ました。

清朝は中国最後の王朝で、漢族ではない征服王朝です。
満州族の愛新覚羅氏の王朝で、
太祖は1616年のヌルハチです。

満洲に住む女直族という民族でしたが、1636年にヌルハチの子ホンタイジが
明とモンゴルの領土の一部を征服し、
皇帝として即位したとともに民族名を満州族と改めました。
また、後金から清へと国号を改めたのもこの時代です。

ちなみにですが、ホンタイジとは皇太子という意味です。

ホンタイジ、ホンタイジ・・・・・コウタイシ

おおおおおおお!(違)

清は中国の正史からすると征服王朝ですが、漢民族の王朝であった明の科挙などの制度を存続させ、
また、明を滅ぼした李自成を討伐するなど、明の衣鉢を継ぐ皇帝であることを押し出し、
比較的容易に受け入れられていった背景があります。

清の最盛期は
第4代 康熙帝(1662-1722)
第5代 雍正帝(1723-1735)
第6第 乾隆帝(1736-1795)
です。

もっと書きたいところですが、ぐっとぐーっと耐えます。
本当に面白いんですよーこの時代。
清朝末期から中華民国を語りだしたらとまりません。
近代まで続いた王朝ですから、史料もたくさんありますからね。
ムネアツ

台湾から遠く離れてしまいますので、もし今後中国本土 例えば北京のツアーで
紫禁城を訪れるツアーが企画されたら書きなぐります。
『紫禁城の黄昏』えを上下巻持ってますから。

どうしても言いたいのは西太后がいるということは東太后もいます。
皇后は東太后です。

故宮博物院からの清朝の話で一人だけ熱くなってしまいました。

現代の台北へ戻りましょう。

次回から←